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ポール・ヴィリリオ 「電脳世界」本間邦男訳 産業図書 1998年 1800円+税
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| 電脳世界 −最悪のシナリオへの対応− 著者は1932年イタリア系フランス人としてパリに生まれている。戦闘的な左翼キリスト教徒の都市計画研究者として哲学、建築、都市論等の学問領域を横断する活動を行い、最近はインターネット、マルチメディアについての批判的な著作活動を展開している。 最新のテクノロジーは空間距離と時間間隔を縮小するが、著者はこの出来事を人間の身体における老化と同じだとみている。便利になれば身体的な運動能力や反射神経が減退するのと同じことが社会に起こるというのである。さらに、船の発明が難破を発明したごとく、電脳世界の発明は電脳的な事故を招くというのが主張で、本書は、対話形式でそのことを平易に語りかけている。 | |
| *「出版ニュース(1998年5月中・下)から引用しました。 | |
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| 千尋港 | |
| ドイツの高速鉄道事故の混乱をきわめた現場のイメージをテレビで見ながら、あらためてポール・ヴィリリオの著作を読み返してみた。手元を探したら、7冊見つかったが、フランスのガリレー社版しかない。 ガリレーのクリーム色に朱で印刷された柔らかな表紙は折れやすく汚れやすくて手垢も残るし、およそカバー=防御とはいえない代物だ。初期のものなどクリーム色が汚い灰色になっている。最近のものは比較的きれいだ。私の手の痕が、つまり読書の痕跡が物質的に残ってくれている。だからガリレーの本が私は好きだった。 十年以上前に出ていたヴィリリオの邦訳も今ではほとんど絶版らしい。だから今回の「電脳世界」(原書は1996年刊)は、80年代前半にヴィリリオに触れた読者にとっては、”忘れた頃にやってきた”という感慨がある。シルベール・ロトランジェによるインタビューという形式で、ヴィリリオは戦争の地平をネットワークに移して考察しているのである。 さて忘れた頃にやってくる天災とは異なり、いつであろうとも起こりうる事故であるが、ヴィリリオほど「事故」についてこだわり、飽きることなく警告を発しつづけている思想家は他にいないだろう。 75年に発刊された最初の著書のひとつである「トーチカの考古学」のなかで、既に彼は技術の本質としての事故に言及していた。船を発明することは沈没を発明することであり、飛行機を発明することは墜落を発明することであると。しかしながらここ20年間、技術の否定的に面についてはなんら本質的な議論がなされないまま事故が起きるたびに「原因の究明」だけが叫ばれ続けている・・・。 ヴィリリオが強調してやまないのは、速度の進歩が(民主主義を通して)人間に幸福を与えるという考え方は、まだ速度が相対的なものにとどまっていた19世紀の幻想であり、今日のように「絶対速度」を手に入れた時代には、もはや速度は権力としてしか現れえないという一点である。これが「速度学」と呼ばれたヴィリリオの思想の根幹に認識だが「、「電脳世界」では、特に問題をテレコミュニケーションに絞って、わたしたちの世界が「絶対速度」手に入れた「絶対権力」によって支配される様子と、破局の危険をさまさせまな角度から検討している。 いわゆるリアルタイムという時間制の導入によって、ヴィリリオは人間がそれ以前には神的な権力でしかありえなかった三つの権力の属性を手に入れたと見ている。偏在性、瞬間性、直接性がそれだ。つまり、絶対速度=速度の限界として出現したリアルタイムという時間によってわたしたちは未知の社会的関係を経験している。 ヴィリリオはたとえばアメリカ合衆国が楽観的にとらえているような、リアルタイム通信技術によって直接性の民主主義が見つけられるとは考えていない。むしろ到来するのは極端な専制であり、他社との関係をなし崩しにしてしまうような「リアルタイムの横暴」だと見ている。インタビュアーがときどき問うように、その見方は破局論に傾きすぎているようにも思えるし、また安易な図式化が気になる部分もないではない。手元にあるヴィリリオの最新の本があまり汚れていないのは、きれいすぎる彼の図式的な世界観のためかもしれない。 それでも彼の本が若い読者を中心に読まれつづけているのは、一貫して彼が抵抗の姿勢を崩していないからだ。いまや視聴率と何の差異ももなくなった野放図な自由主義政治体制に抗して、ヴィリリオは「言葉と他者を取り戻す」方法を模索し、都市計画としての実践を行っている。 ネットワークでおきる事故はもはや飛行機や列車事故のような局地的なものではない。全世界が同時に陥る全域的なものだ。そのような破局のイメージを、わたしたちは持てるだろうか。 そういえばヴィリリオの本はほとんど、パリの空港のキオスクで買い、機内で読んでいた。「電脳世界」の原著も、長いあいだキオスクに平積みになっている。そしてわたしたちは今日、どこにいようが本質的には「機内」なのだとということを、この本は教えている。既存の社会システムに対して「ノン」を突きつけた五月革命から今年は30周年である。物事の否定(ノン)面を見つめつづける思想家は健在である。 | |
| *「本とコンピュータ ’98 夏号」から引用しました。 | |
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