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私の読書日記
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鶴田卓彦(日本経済新聞社社長)
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| 1月3日(土曜日) 晴れのち曇り フランソワ=ベルナール・ユイグ「未来予測の幻想」(産業図書) 予言者は世紀末になると、ぞろぞろ出てくる。これは神のお告げなりという霊験派がいる。コンピュータを駆使したハイテク派もいる。意匠を競う世相を反映して、予言や予測もますます過激になってきた。 しかし、未来はどこまでいっても未来のままである。予測の半分は科学の領域だとしても、残りの半分は魔術の世界、運まかせというところがある。 新事業にせよ新製品にせよ、企画立案の段階ではみんなバラ色に輝いている。それならと勇んで立ち上げてみると、予測もしなかったことが次々に起きてくる。 予測はなぜ間違うのか。同工異曲の予測が繰り返されるのはなぜか。石油危機後のゼロ成長論や、世界食糧危機説はその後どうなったのか。 本書はいまや忘れられた数々の予測の残骸を丹念に検証して、それを文明論としてまとめている。 筆者によれば、未来が信じられなくなればなるほど、人は未来を知りたがる。予測が間違うのはそれが予測可能だからであって、誤りは予測に内在する必然的な結果である。 それでも人々が予測を信用するのは、事実と一致するためためではなく、われわれの予想と一致するからである。つまり、人々の期待や希望に応えるのが予測である。 だから予測は間違う、という筆者の追求は鋭い。 だが、世の中には人々に警鐘を鳴らし、勇気づける予測もある、と私は思う。 たとえば、このままだと日本は衰退する、ゼロ成長が続くといわれれば、改革の気運が高まる。改革が進めば活気が出てきて、将来の展望も明るくなる。予測にはそういう効果もある。 鬼面人を脅かすような予言は論外だが、人々に希望を与える予測や、健全な危機意識にもとづく予測なら閉鎖を打ち破る力にもなるにちがいない。 未来を運命にゆだねたのでは、生きる喜びが薄れる。いまこそ立命の気概が必要なときであり、未来創造に取り組む人を鼓舞するような予測が続々出てくることを期待したい。 | |
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「1998.4 選択」より引用しました |
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