科学が作られているとき
科学がつくられているとき
ブルーノ・ラトゥール著

本書は持っても重いが、読んでも重い。しかし語り口はまるでやんちゃっ子のようで、全編が挑発と刺激に満ちている。まるで痛がゆいところを針でちくちく連打されているような快感がある。しかもじんわりボディ・ブロウが効いてくる。なんと、もたまらない。
科学者はただ自然とだけ向き合い、自然を正しく捉えようとしているのか。それとも、科学は社会的産物であり、むしろ社会学的に説明されるものなのか。どちらでもない! 著者はそう喝破し、新たな科学論の重い扉を軽々と開け放つ。本書は、その高らかな(いささかカン高い声の)宣言にほかならない。
「自然」や「社会」といった既成の観念を無反省に携えて、それで科学や技術を捉えても意味はない。いったんそした観念をお払い箱にせよ。そして、作られつつある科学と技術の現場を、徹底的に人間の営みとして追跡せよ。ここに「科学人類学」という新しいジャンルが拓かれる。
あえてラトゥールよりも挑発的な言い方をするならば、自然も、社会も、すべては実験室で生み出される夢なのだ。そして科学者たちは、ときにマキアベリ的戦略を駆使しながらもライバルを蹴落とし、他者を巻き込みながら、自分の夢を 勝ち上がられていく。「自然」や「社会」といった冠は、勝ち残りえた夢にかぶせられる称号でしかない。「事実」は発見を待ってこそそこにあるのではなく、人間のドラマの中で作り上げられていくものなのである。
本書は、もはや古典となったトマス・クーンの「科学革命の道」以後の科学論における最大の業績であると言ってよいと思われる。もし、「パラダイム」のようなチャーミングなキャッチフレーズがないといった理由だけでこの衝撃的な本が流布しそこねるとしたならば、それはとても残念なことだ。

ブルーノ・ラトゥール=パリ国立高等鉱山学校の技術革新社会学センター教授。著書に「フランスのパストゥール化」「アラミス」(いずれも未邦訳)など。

評者・野矢 茂樹(東京大学助教授・哲学)

「読売新聞 1999年4月11日(日曜日)」より引用させて頂きました。
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