真理を追って
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| W・V・クワイン/著 伊藤春樹、清塚邦彦/訳 | |
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| クワインの哲学体系を自ら簡潔に説明した貴重な書物 哲学的探求の中心的テーマに関する最新の見解 浜野研三 | |
| 本書は20世紀後半の分析哲学のパラダイムを形成し、半生記以上に渡ってその指導者であり続けてきたクワインの哲学体系を執筆時83歳であったクワイン本人が簡潔に説明した貴重な書物である。証拠、指示、意味、内包、真理という各章のタイトルが示すようにクワインの哲学的探求の中心テーマに関する彼の最新の見解が示されている。クワインの哲学が何を問題とし、その問題についてどのような解答を与え、そしてそれがどのような哲学的合意を持つのか、というクワインの哲学の基本的理解を得ようとする人々にとってかけがえのない入門書であるということが出来る。といっても、彼の多くの著作を踏まえた議論であり、簡潔さに惑わされるとなく、その背景にあるクワインの大胆強靭かつ豊かな思考を理解するために注意深く読み進む努力が要求される書物である。 クワインは休むことなく自らの哲学体系の改善を進めてきており、後に触れるように、本書についても1990年の初版と本訳書が準拠している1992年の第2版では重要な点での相違が認められる。その意味でクワインの最新の立場(但し、1992年迄のという但し書きを付けざるを得ないところに現時点における最良の理論しか認めないクワインの面目躍如たるものがある)を知ることが出来る本書は、クワイン哲学の研究者にとっても貴重なものと言える。クワインがどのような点でそれまでの立場をより明確にしたのか、あるいは変更したのか、あるいはどのようなニュアンスを付け加えたのか、それらは事柄自体として改善であったのか、あるいは彼の立場の問題点をより明らかにするものであるのか、等の問いを持ちつつ本書を読むことはクワインの哲学の研究者にとって極めてスリリングな経験である。ここで評者の注意を惹いたいわば、クワイン哲学の不易の部分と流行の部分をの幾つかを挙げれば次のようになる。 まずは、不易の部分であるが、自然主義、言語に関する行動主義、感覚器官における刺激過程と世界に関する科学理論の間の証拠と証拠付けられるものの間の関係の解明への興味等、彼の根本的立場に変化は見られない。クワインにとって何より自然科学が人類の世界理解の根本的枠組みになるものであり、言語はあくまで言語的なコミュニケーションの成否の観点から理解され探求されるべきものなのであり、また、彼の哲学はあくまでも経験主義的であり、伝統的なものと重なる認識的な問題意識に貫かれているのである このような不易部分に、間主観的な刺激意味の必要性を放棄する、内包的な語彙の有用性の強調等という変更や新たなニュアンスの付加が存在する。クワインは自然主義に基づいて感覚受容器官刺激に基づく刺激意味を言語の分析の中心的概念として設定するが、行動主義によりウエイトがかけられるにしたがって、彼の体系の中での刺激意味の概念の役割は小さくなって行く。間主観的な刺激の概念を不要とするクワインの言葉はその様な変化を象徴するものである。とはいえ、刺激意味の概念の役割が全面的に否定されたわけではなく、クワインの物理主義と行動主義の間の緊張関係はなお続いているのである。 更に興味深いのは、翻訳過程や言語の習得過程の行動主義的分析の中で、感情移入 (empathy) の概念がより大きな位置を占めるようになっていることである。たとえば、子どもの「知覚」経験に関する正確な理解、換言すれば命題的態度に関する語彙を大人が十分使いこなせてこそ言語能力の育成が可能になるのである。そしてクワインは、デイヴィドソンやデネットと同様、内包的なものが外延的なもの還元不可能であることを認めている。すなわち、心理学の一章であり科学の科学であるクワインの自然化された認識論の記述の中で外延的ななものに還元不可能な命題的態度を示す語彙が重要な役割を果たすのである。実際、本書の初版でクワインはこの立場の合意を率直に認め「外延性は科学に関する私の概念そのものの部分ではない(中略)経験的なチェックポイントがある限り、内包なものに関しても科学が成立する可能性がある。」とまで述べている。しかし、「デイヴィドソンとフェーレスダールにそそのかされて」命題的態度に関する部分が「大幅に書き換えられた」ニ版においては以前のより慎重な立場に戻っているこの変化を後退とと見るか本来のあるべき立場への復帰と見るかは議論を呼ぶところである。以上の例が示すように本書は様々な刺激に満ちた、クワイン哲学 の理解と評価にとって不可欠な書物である。 最後に、翻訳についてであるが、詳細な注釈を付し、翻訳が困難なクワインの英文を繰り返し読むに値する正確で明瞭な日本語に移された訳者の努力を多とする。 | |
| (名古屋工業大学 助教授) | |
| 「図書新聞1999年8月7日(土曜日)第2449号」より引用させていただきました | |
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| 第二次世界大戦後の分析哲学を一貫して導きつづけてきたアメリカの哲学者であるクワインが1990年、83歳のときに著した21冊目の小著で、クワイン自身が自らの哲学の根本問題を体系的に概観した最初にして最後となるもので、 自らの手になる墓碑銘と位置づけられて書かれたものである。 著者のいう根本問題とは、感覚器官をそなえた身体表面への衝撃から認知された意味が、どのような過程を経て体系的な理論ととして累積されていくのかということを解明することで、クワイン自身のことばによれば「認識論を自然化しよう」ということになる。ただ、このように書けば難解な、という印象を受けるであろうが、本書はこれまでの著書にはないほどにクワインのサマリィー と、そこにいたる考え方の基本的枠組みが明快に、かつ説明的に論じられており、その意味では最良のクワイン入門書と言える。 | |
| 「出版ニュース ’99.7/上」 より引用させいいただきました | |
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